プロフィール
ぜにや翔の経歴をご紹介いたします。

氏名 | ぜにや翔(しょう) |
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生年月日 | 1988年(昭和63年)8月19日 |
出身校 | 四條畷学園幼稚園 四條畷学園小学校 四條畷学園中学校 東大阪大学柏原高等学校 中央大学 法学部法律学科 |
職歴 |
トナミ運輸株式会社 和歌山県有田市役所 大阪府四條畷市役所 |
学生時代のエピソード
- 小学校時代
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スポーツに、目覚める
小学生では、水泳、サッカー、野球、バドミントンと色んな競技を経験した後、兄姉がしていたバドミントンでオリンピックをめざすことにしました。恩師の熱血指導のおかげでバドミントン部の創部以来、初めての全国大会出場を果たすことができました。
目標に向かって、コツコツと努力を積み上げる姿勢はこの時に養えたと思っています。
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- 中学校時代
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バドミントンに、没頭する
中学3年生の時にバドミントン部主将を務めました。部員とともに全国制覇を目標に掲げて、練習に没頭する日々を送った結果、男子創部以来、初めての全国大会優勝を果たすことができました。この時の経験で目標に向かって努力をすれば、結果が出ることを学びました。
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- 高校時代
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親元を離れ、環境を変える
大阪一の強豪校に進学を決め、競技に専念するため、寮生活を選びました。全国大会優勝は叶わなかったものの、全国大会3位に入賞することができました。 全国上位選手と切磋琢磨する日々を送ることで、競争に打ち勝つ精神力が鍛えられた高校生活だったと思います。
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- 大学時代
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文武両道に、励む
法律に興味があったこともあり、中央大学法学部法律学科に進学を決めました。1年次の時に全く単位が取れず、とても焦った記憶があります。そこから猛勉強に励み、4年次の前期には卒業に足りる単位を取ることができたので、後期はバドミントンに没頭する日々を送りました。競技に集中できた結果、全国大会3位入賞、学生のオリンピックともいわれるユニバーシアードで5位入賞、日本代表選手に選出されたことで、さらに大きな目標に向けて頑張ろうという気持ちになったことを覚えています。
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社会人時代のエピソード
- トナミ運輸株式会社時代
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さらなる、高みをめざす
日本トップクラスの実業団チームであるトナミ運輸株式会社に入社しました。日本代表として、また、会社の名前を背負って戦うプレッシャーの中、海外を転戦しながら日本一連覇を成し遂げました。社会人3年めに手術を伴う怪我をきっかけに、自身の経験を伝える活動をしたい思いと、行政に関心があったこともあり、環境を変えようと決意しました。
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- 和歌山県有田市役所時代
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自治体職員として、基礎を磨く
思い切って、一人も知り合いがいない状況下に身を置きました。市民のみなさんと一番近い距離で仕事をする基礎自治体職員として働く中で、真剣に向き合えば信頼してもらえるという経験を得ました。 有田市職員としては、教育委員会(生涯学習課)、経営管理部(総務課)、経済建設部(産業振興課、ふるさと創生室)で様々な経験を積み、中でもふるさと納税において、楽天ショップ・オブ・ザ・イヤー2016 ふるさと納税賞を受賞し、市のブランド推進に尽力しました。
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- 四條畷市役所時代
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四條畷のために
培った行政経験と日本代表での経験で四條畷に貢献したいとの思いから、家族とともに地元に移り住むことにしました。 本市職員としては、総合政策部(企画広報課)、財務部(財政課)に従事。令和3年度から配属先となった財政課においては、国からの特別交付税(市の特別な事情により交付される)を着実にいただけるよう思考を巡らせ取り組んだ結果、令和2年度382,162千円、令和3年度428,478千円、令和4年度444,986千円と着実に増加につなげることができました。
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- 新たな挑戦
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政治家に、転身する
東市長の退任発表と同時に「四條畷市民の力」の市長公募プロジェクトを知り、「市民の声を形に、未来を動かす存在へ」と考え、四條畷市役所を2024年11月21日に退職して、市政への挑戦を決断しました。
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